信号機付きの横断歩道を渡ると新宿二丁目に入る、その入り口に一軒のキャバレーがあった。
「そこのおにいさん、ちょっと遊んで行かない?!」と客引きのお姉さんからすぐに声がかかった。
「いやあ、すいません。お金がないもんで、、、ところで、このあたりに『ジュ○』や『サテ○○ン』という名前のスナックがあると聞いたのですが、ご存じですか」
「それならこの先の、、、あのあたりにあるわよ。でも、あんた、こっから先、ホモバーばっかしよ、知ってんの?」
「ホモバーばっかし」と聞いて驚いた。しかし、それ以上に、お姉さんと思った客引きの人が話してみると実はかなりの年齢、中年以上の歳のおばさんであることが分かり、びっくりした。ものすごい厚化粧とど派手な衣装でそれを隠そうとしていたのである。
ともかくも一度、まずは行ってみようと思い、新宿二丁目の中の道を進んだ。
すぐに「異様さ」に気が付いた。二三軒に一軒ぐらいの割合で店先に明らかに女装した男性が立っていて、皆、鈴をチリン・チリンと鳴らして「どうぞ!」とか「いらっしゃい!」とか声をかけてくる。まだ7時前のせいか、人通りは多くなかった。
まずスナック「ジュ○」に入った。
店内は5、6人が座れるカウンターと一人用のソファーが壁沿いにいくつか並んでいるだけで、薄暗く、4、5人いた客か店員もすべて男性だった。女装の人はいなかった。
日刊アルバイト・ニュースを見て来た旨を告げると一枚紙を渡され、名前や住所、連絡先、大学・学部などを書き込んだ。
店内は不思議な程静かで、どんな仕事をするのか質問しにくいなと思っていたら、「君、メガネを外しても大丈夫?」と店員のボスらしき人に質問される。
「どうして?」と訊ねると、普通の男性の話し方で「こういうところではお客さんが上で、私たちは下。メガネをしていると生意気に見えてお客さんに失礼になる」との答え。妙に納得した。
「来てもらう場合には明日中に大学の寮の方に電話する」とのことなので早々に「ジュ○」を辞し、スナック「サテ○○ン」に向かった。
こちらの店内の照明は明るく、10人近く座れる大きな半円型のカウンター席が入ってすぐ手前にあり、奥にはいくつかボックス席もあった。
カウンター内の店員に来意を告げると、そのままカウンター席に案内され、アイス・コーヒーが出てくる。
店員はこの一人だけで、カウンターの反対側には先来の応募者か、煩悶しているような様相(?)で座っていた。他に客はいなかった。
早速、その店員に業務内容を訊ねると、関西弁の抑揚で
「男の人に体、売るんです!」と、何とも真正面のお答え。
「そりゃあ、僕には無理だなあ」
「すぐに慣れるわよ!私も最初はいやだったけど、大丈夫!」
「でも、僕みたいなヘチャムクレにはお客さんなんて来ないでしょう」
「大丈夫!銀座のクラブとは違って、この世界にはいろんなお客さんがいて、ご要望もいろいろなの。美少年が好きな人もいれば、あなたみたいなというか、ジャガイモみたいなのがタイプの人もいて、本当に様々よ。あなたにも必ずお客さんが付くから!」
励まされているのか貶されているのか分からないような会話を彼としていると何だか少し好奇心が湧いてきて、この仕事はやはりやらないが、アイス・コーヒーをじっくり味わい終わるまでしばらく店に留まっていろいろ観察してみることにした。
すると、まず、大企業のお偉いさん風の立派な身なりをした紳士がやって来た。「○○ちゃん、まだあ?今日はいつ頃来るの」と女形のしゃべり方で店員に質問し、「まだよ。いつ来るかなんて分んない」とのつれない答えに今にも泣き出しそうな顔をして「じゃ、また、後で来るから」と去っていった。
次の紳士は身なりもしゃべり方も全く紳士そのものであったが、やはり「△△ちゃん、まだ?」と店員に訊ね、「また、来る」と出て行った。
店員によればその紳士もしっかり「この世界」の人だそうだ。
このほか工員風の身なりで女形の話し方をする人も来たし、派手に女装した客がやってきた時には本当に驚いた。
ふと「この調子なら確かにどんなヘチャムクレにも客が付くかもしれない」と思ったことを覚えている。「この世界」の幅広さ・深さを垣間見た30分だった。
「サテ○○ン」を後にして新宿駅に向かって元の道を引き返しながら、私は自分の学生時代の最初で最後の旅行はやっぱり超貧乏旅行にならざるをえないと腹を固めていた。
これは間もなくその通りとなったが、実際にはこの超貧乏旅行はまたとない最高に楽しいものであった。
しかし、この時点では私にはそのことはまだ想像もつかず、貧乏には慣れっこになっていたものの、少々重苦しい思いを抱きながら歩いていた。
そして、新宿二丁目入口の例のキャバレーのところまで戻ると、あの客引きのおばさんがまだ働いていた。
そして、、、
「そこのおにいさん、ちょっと遊んで行かない、、、
ああ、さっきの人ね、どうだった、やっぱりホモバーだったでしょう」
「はい、そうでした」
「で、どうすんの」
「やっぱり、やめておこうと思います」
「それがいい、そうなさい。
喫茶店のボーイとかレストランの皿洗いとか、お金は安くても、もっと固い仕事をなさい。あんた、学生さんでしょ。お金がなくてこまってんでしょ。でもね、今はつらくても、まじめに一生懸命やってれば、そのうちきっといいことがあるから、頑張るのよ!」
予想もしない激励だった。
びっくりして、そして、ジーンと来て「はい。ありがとうございます。頑張ります!」と応え、深くおじぎをしてその場を去った。
あれから36年、何度も何度もこの場面を思い出しては感激に浸り、勇気づけられてきた。
そして、自分が歳をとり、いろいろな経験を重ねるに連れて、おばさんの言葉は更に更に一層心に滲みてくるように感じられる。
勝手に悲劇的な想像を巡らすのは失礼千万だが、おばさんに「いいこと」は果たして(「そのうち」にも)あったのだろうかと思ったりもする。
それでも、というか、ともかく、一見の若造にあれだけの優しさを示しうるような大きな、大きな優しさを持っているおばさんは本当にすごいと思う。
そして、ひょっとしたらあの時のおばさんに近い年齢になっているかもしれない自分に、あの時のおばさんに負けない優しさが今あるかと我が身を振り返ると、甚だ心許無い。
しっかりしなきゃと考えさせられる。実におばさんは私の生涯の恩人であり、大きな大きな目標なのである。
なお、結局、その翌日にスナック「ジュ○」から電話はなかった。もしも電話があって、私がいつもの気まぐれをおこしていたら、、、そして「どんなヘチャムクレにも、、、」が起こっていたら、、、私は今、全く違う世界にいるかもしれない、、、
平成26年9月記
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